推しを自分の全てにしてはいけない
僕たちを太陽だと思ってくれるとするなら、ひまわりみたいに太陽を絶対的な存在に思わないでほしい。
もう何年も追い続けている、隣国の推しさんたちが、ロングインタビュー*1で綴った大好きな言葉です。
外国人のはずなのに、こんなに素敵な日本語を口にしてくれることが、数ある大好きなところの一つです。
そしてインタビューは、こう続きます。
アーティストはファンの人生においては、現実的な支えやパートナーにはなれないし、ステージや作品で期待に応えることはできたとしても、それぞれの生活や未来の責任は持ってあげられないから。僕らのことで悲しませてしまったり、元気がなくなってしまったり、そういうことがあると僕も苦しい。『だけど、できることは歌うしかないんだな』って。だけど、それくらいしかできないとしても、ひまわりみたいに太陽を見ると元気になれたり、栄養をもらえる、そんな栄養剤みたいな存在になれるんだとしたら、精一杯頑張りたいし、見ていてほしいと思う。
一見、冷たい言葉のように思えますが、私はこの言葉に何度救われたかわかりません。
長年オタクをやっていると、"幸せ"の定義が、オタクではない人と大きく違ってきていることに気が付きます。
そこで思ったのが、私のオタクとしての幸せって、"クラウド上"にあるということ。
たとえるならば、雲(クラウド)の中にあるコンピューターを地上から利用しているようなイメージです。そして、クラウドの形態で提供されるサービスを「クラウドサービス」と言います。
「何言ってんだコイツ・・・」と思われるかもしれませんし、こんなことを感じているのは私だけなのかもしれませんが、正直自分でも感覚的なものなので、よくわかっていません。
ただ、オタクをしているときは、"幸せ"というものが自分の手元にない。
推しさんたちの、幸せを感じる"場所"を借りて生きているような、そんな妙ちきりんな感覚です。
スタンドアローンの喜びが、ない。
私は、一度すっぽりハマってしまうと、頭までズブズブと浸かってしまうタイプでした。
まぁ今もなんですが(さすがにこの歳になると、嫌でも現実を感じてしまうので)、学生のころは特にひどかった。
推しのことで笑って、泣いて、怒って。
推しが苦しんでいる姿を見ると、怒りと悲しみで眠れない夜もありました。
応援スタンスの違いで、疎遠になってしまった友達もいました。(バンドかな??)
ライブでは、別にそういうタイミングでもないのに最後の挨拶でいつも号泣して、隣の見知らぬお姉さんに背中をさすってもらったものです。
まるで自分のことのように・・・いや、"自分の身内のことのように"心を動かされていたんです。
普段は家族の文句言うけど、人から自分の家族を貶されたらめちゃくちゃ腹立ったり、彼氏の愚痴を言って「え〜それサイアク〜〜〜」って言われたら「あっでも、こんないいとこもあるんだよ!」ってなったりする、アレ。
おかしな話ですよね〜〜〜他人なのに!!
赤の!!他人なのに!!!!
でもそのおかしなことが、ありえちゃってるわけなんです。
異常と言われれば、異常。
彼らの一挙手一投足が自分の日常に支障をきたし始めたと思い始めたとき、ふっとあの言葉を思い出します。
これがまた、すごくバカらしい。
好きな人が求めていないことをやるなんて、バカらしいじゃないですか。
私がいくら日常生活を犠牲にしてまで彼らに尽くしても、それはただ、一方通行な、乱暴な感情でしかなくて。
これでは、せっかくの愛が、彼らに届くまでに死んでしまっているような気がしたのです。
これは、お金をかけるかけないの話ではなくて、あくまでも"感情論"です。
金銭を伴う関係性というのは、推しがファンを、ファンが推しをと、お互いの存在をきちんと認識している状態なわけですが、ここでの感情論は、あくまでもスタンドアローン。
個々人の中にくすぶるフクザツな気持ちの話です。
推しは、私をファンとして認識しているだけで、"私"として認識しているわけではないから・・・
キャッチボールは、相手が捕れるように投げないと、意味がない。
これじゃあ誰も幸せになれないと、10の力で投げられたボールを、10の力で返したいと、少しずつ思うようになりました。
たまに、ですが、自分自身のことで喜んだり悲しんだりできない自分に対して、「私は今、すごく無責任に生きているのでは・・・」とめちゃくちゃに落ち込む。
言ってしまえばそれって、喜びも悲しみも、人のせいなわけですからね!!
お気楽な人生だなぁと、卑屈モードのときは、特に落ち込みます。
堕ちるとこまで堕ちます。
自分で何か行動して失敗した悲しみ、自分で何かを成し得て手に入れた喜びがない人生なんて、寂しいです。
大人なると"頑張る"ことが難しくなってしまうから、余計に。
だからこそ、努力してキラキラし続ける俳優さんたちに、恋い焦がれてしまうのかもしれませんね。
冒頭にもあった通り、推しはオタクの私生活まで幸せを保証してくれるわけではない。
あるとき自分の人生を生きるよう迫られたとき、「ああ、私には何も残っていなかった」なんてことにならないよう、気を付けないと。
君と僕は平行線
その上をそれぞれ歩いて
その道の果てに交わる道を見つけよう
今君と僕はちょっとぎこちないけど
僕にだんだん近付いて*2
それでも、交わる道があると信じて、歩いていくしかないんだってさ〜〜〜!!!!!泣