合縁奇縁

根がオタクなんです

ファンテーヌに想うこと


ドラマ「レ・ミゼラブル」を見て、いや、ドラマ「レ・ミゼラブル」の“ファンテーヌ”を見て、何とも言えない罪悪感を感じた。
今まで、彼女を見て感じていたもどかしさや悔しさが、全て自分に返ってきたような気がしたから。

まずはファンテーヌの話をする前に、なんてことない、人より少し自己肯定感が低くそのわりには頑固で融通が利かない、典型的に認知が歪んでいる一人のただの女の話をさせてください。

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成人し、社会人となり、何かにつけてお酒を飲むようになり、泥酔する回数が増え、周囲からお前はアル中だと言われ始め、やっと気づいた。
自我を失いたかったのだ、ということ。

死ぬのは怖い。
痛いのも、苦しいのも嫌。
ただ、現実から、逃げたい。

・・・もちろんファンテーヌはこんなドス暗い女性ではありません。
ただ、社会の荒波に揉まれる私は、どうにも要領が悪く、日々“生きづらさ”を感じていました。
敏感すぎて、目も耳を鼻も、神経をすり減らしてしまう。
身の上話を聞くときも、想像が行き過ぎて涙が出てしまう。
自分の段取りが一つでも狂ってしまうと、お腹の中がグラグラ燃えるような、恐怖と不安が襲ってきて、軌道修正ができなくなってしまう。
みんなが自分の悪口を言っているような気がして、体が固まって身動きがとれなくなってしまう。
それがまた、みんなを苛つかせることはわかっているのに。
一つ何かに夢中になってしまうと、周りが見えなくなって、“それ”しかないような、“それ以外”はまるで悪のような、0か100かしかない、本当に融通のきかない女、それが他でもなくわたくしでございます。




初めてレ・ミゼラブルを見たのは、まだ10代の頃でした。
当時の私には、ファンテーヌは聖母マリア様のような、母としての印象が強く、子のためにここまで自分を犠牲にできるか・・・ととても儚く遠い存在のように思えていましたが、今、私の彼女への印象は大きく違っています。
若く、愚かで、感受性が豊かな、危なっかしい女の子。
人に感情移入しやすくて、思い入れしやすくて、情が深い。
理屈や理論より、気持ちを大切にして、頑固で、融通が利かない・・・あれ、私?

ファンテーヌの人生がおかしな方向へ向かい始めたのは、今の私とそう変わらないほどの年齢。
人より、あからさまに恵まれていない環境、というわけではなかった。
一見、子を身ごもったことがすべての始まりのようにも思えるがそういうわけでもない。
コゼットと二人慎ましい生活ながらも幸せに生き延びるエンディングを想像することは、決して難しくありません。

よりにもよってあのどクズのテナルディエ夫妻にコゼットを預けなければ、

ファンテーヌに読み書きができていれば、また、テナルディエからの手紙を読んだ代書屋が口を滑らせなければ、

ファンテーヌが意固地になってツンケンした態度を取らず、仲間の女工たちとうまくやっていれば・・・

たらればでしかありませんし、これだけは強く言っておきたいのですが「だからファンテーヌは自業自得だ!」というのは絶対に違うと思っています。
悪いのは間違いなく、金を騙しとるテナルディエ夫妻で、未婚の母であることをバラした代書屋で、ファンテーヌをいじめ工場から追い出した他の女工たちです。

ただ、第三者の我々ですら容易に想像できるはずの最悪の結末に、ファンテーヌな不思議なくらいまっすぐ脇目も振らず突き進んでいるのです。
助かるタイミングは何度もあったはずなのに、自らそのフラグを全てへし折っていくファンテーヌ。

火垂るの墓』という超ド級に救いようのない映画はみなさんご存知だと思いますが、ファンテーヌはその主人公の清太と、どこか似ています。
意地っ張りで、頑固で、助かる術を知らない。
子どものころはただの意地悪クソババアに見えた叔母さんも、大人になって見てみると同情の余地もある。
ただあのバアさんはやっぱり、大人としての責任を放棄していますよね。


無知は死に直結していることを、ファンテーヌも清太も、悲しくも教えてくれます。


・・・少し話はそれましたが、物語が与えるものは、読み手が今置かれている環境や年齢によって大きく変わります。
私は、ファンテーヌを初めて見たときより、今の方がずっと魅力的に見えています。
若く美しく、無知で愚かな、悲しいくらい真面目で純粋な女の子。

なぜ、どうして、と彼女に対するもどかしさは、自分に対して返ってくるようになりました。



ファンテーヌは、王子様だと思ったのかもしれない。
わかる。悲しいほどに、わかってしまう。
どうしようもないくらい純粋で、思い込みの激しい、感受性の豊かな女の子。

だから私は思います。
ファンテーヌに、もっと“誰かのせい”にしてほしかった。
自分を追い詰め、責任を感じて「自分一人で何とかしなきゃ」と思う前に、身勝手でも、自己中でも何でもいい。
誰かのせいにする、図々しさがあってほしかった。
皮肉にも、マドレーヌ市長に「あなたのせい」と逆恨みまがいの訴えでコゼットは救われたのが、何よりの証拠だと、思わずにはいられません。

傷付くのが怖くて、何の罪もないのにつらい目に遭っているなんて信じたくなくて、自分に何か悪いところがあったのだと信じたくて、「人を頼ること=迷惑」だと“勝手に”察してしまう。
ファンテーヌがどうだったのかはわかりませんが、また私は勝手に思いを馳せてしまいます。

どうか、待ち続けたあの人のことを責めていてほしい。
テナルディエ夫妻を憎んでいてほしい。
自分を追い出した同僚たちに怒りを感じていてほしい。


最期に貴女を抱きしめたジャンバルジャンの姿に「もう自分を許してやれ」と、そんな気も感じたから。




「夢」なんて、素敵な響きだけれど、“ぬか喜び”と言ってしまえばそれまでです。

「悲しいより、悲しいことってわかりますか?悲しいより悲しいのは、ぬか喜びです。」
スペシャル|TBSテレビ:火曜ドラマ『カルテット』


どうか天国では、もっと自分自身のことを好きでいてほしい。
そう願わずにはいられません。