2019年わたくしごとと新年のご挨拶(大遅刻)
あけましておめでとうございます〜〜〜!!!!!🎍🌅🎍
年末に更新するつもりが、間に合いませんでした。
びっくりするくらい間に合いませんでした。
お久しぶりでございます、繭です。
私はというと、レミの感想を書き終えるまでにTDVが開幕したかと思えば、そのまま年末特有の慌ただしさに突入してようやく仕事を納め、夢のお正月休みを満喫していたはずが、あれよあれよと言う間に通常営業が開始していて驚きを隠せないところでありますが、みなさまお元気でしたか?
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
久しぶりなので、ブログの書き方を若干忘れている気もしますが、以下、ひたすらに個人的な話なので、興味のない方はここでお戻りくださいませ。
TDVの感想は、近いうちに更新する予定です。
私的2019年のハイライトは、何より人事異動です。
身バレが怖いのであまり詳しいことは言えませんが、やっぱり、嬉しかったですね。
認めてもらえた、と思いましたし、めちゃくちゃ張り切りました。
2019年の、というより、人生のハイライトと言っても過言ではないでしょう。
私という人間は、基本的に八方美人で、いつもヘラヘラしていて、割と「どこに言ってもうまくやれるよね」と言われる人間で、"わかりやすい悪意をくらう"経験も少なく、周囲の人間に恵まれた、温室でぬくぬく育った女です。
そんな私がですね、異動先で見事に、人生初の"イビリ"というやつを経験してしまったんですね〜〜〜
異動したくない部No.1との呼び声高い部署内に異動しまして、女だからとか男だからとかあまりに言いたくはないですが、絵に描いたような女社会が蔓延したお部屋です。
本当、ドラマであるようなあの感じを想像してもらっていいと思います。
悲しいことに、自分もされたから人にもそうしてしていいと思っている人間が多いところです。
不思議なもので、真っ只中の最中は自分がやられていることを人には言えなくて、余裕が出た今、こうやってブログでも、リアルでも話せるようになりました。
やっぱり、恥ずかしいです。
知られたくないです。
特に、自分の大切な人たちには。
「愛されていない」と知られるのが、怖いです。
まぁ、先輩にどろどろに甘やかされて続けてきた私としましては、こんな世界があることが本当にびっくりで、それこそ最初は「私は負けない!自分は絶対こんな思いを後輩にさせたくない!」と頑固一徹で意気込んでいたんですが、今年の夏ごろ限界がきまして。
自分はそこそこ人とうまくやれるタイプだと思っていたので、あれよあれよと悪循環にハマり、若干ノイローゼ気味になってしまい、眠れなかったり、夜中に目覚めたりすることが増えたりもして、通院を始めました。
当時はとにかくお風呂が苦痛で(なぜだか思考のループが起こりやすい)、泣きながらシャワー浴び、すっぴんで出社なんて考えられなかった自分がどんどん身だしなみを気にしなくなっていきました。
体重もみるみる落ちてしまったりして。戻りましたけど。
退職願を机に忍ばし、もちろん出さない前提なんですけれども、お守り代わりと言いますか、いつでも辞めてやるという気持ちでやってみようと、そう思いながら仕事をしていました。
仕事はあくまで生きるための手段だし、そこで無理して「壊れて」も、会社は守ってくれないことも知っているからです。
「どうやらアイツ、様子がおかしいぞ」と周りも異変に気付いてくれていたので、こっそり声をかけてくれたり話を聞いてくれたりと、逆に、周囲に感謝するきっかけにもなったんですが、残念なことにこういうことって、自分で解決するしかないようで、みんなそれをわかっているから手出しができない「も〜何言われてもいーわ別に!」と割り切るようになってからは、割とあっさり人間関係が円滑になりました。
以前にも少しお話しましたが、私は本当に融通が利かない、意固地な人間です。
なかなか自分を曲げられないタイプです。
加えて、なかなか心を開かないから、相手も私に対してどう接していいのかわからない。
私をどう扱っていいのか、わからなかったんだと思います。
私のような神経を張り巡らせて勝手に疲れているようなタイプには、人の悪口だらけのあの空間が本当に苦痛で、いちいち全部間に受けたりもしましたが、私の2019年の言葉と言ってもいいでしょう「割り切る」こと。
そう心で唱えると、不思議と真っ暗だった目の前に、いくつかの道が現れるようでした。
本当は、「現れて」いるわけではなくて、私の心の影が道を隠しているだけで、そこに光が当たるだけだったんですが。
割り切ること自体に意味があるのも確かですが、その言葉が私の思考のループを断ち切るトリガーになったことも、よかったんだと思います。
「嫌われてもいい!何言われてもいい!」と割り切って、鬱陶しがられるのを承知で話しかけるようにしたら、そこそこコミュニケーションがとれるようになりまして、今では割と良好な関係を築けています。
割り切り方と、自分の気質との向き合い方が、やっとこの歳にして掴めてきたような、そんな感じです。
夜も眠れるようになりました。
でもやっぱりこうやって文字に起こすにあたって当時のことを思い返すと胃がキリキリしますね。
ただ、あの世界に順応しつつも「絶対後輩には自分みたいな思いをさせない!」という気持ちだけは、忘れないようにしています。
疑問に思うことを忘れてはいけない、と。
今の環境に慣れてしまっても、あのとき感じた違和感や苦しみが普通だと思いたくありません。
そして、あのとき心ない言葉・態度を浴びせてきた人、見て見ぬふりをした人、絶対に忘れません。
今、何事もなかったかのように笑って話してはいますが、一生忘れることはないでしょう。
ハライチ岩井さん並みに、忘れねぇからなと思います。
反対に、あのとき助けてくれた人、影で動いてくれた人、この恩もまた一生忘れません。
自分もいつかこの人の力になりたいと、そう強く思います。
毎日メソメソ泣いていましたが、この一年ひたすらに自分と向き合い、自分と戦ってきました。
他人ではなく、自分でした。
人が自分に向ける態度は、写し鏡。
自分を知ることで、場合によっては環境を変えられる"こともある"。
だからって人を傷つけていいとは全く思いませんけどね。
この歳にして、やっっっと"自分"というとのがわかってきた。
「生きやすさ」ということは、自分を知っているか、自分の扱い方を知っているか、なのかもしれません。
そんな、自分を知り、自分の機嫌のとり方を知った私。
私は私の楽な生き方を取っただけで、これが正しいとは思いません。
どんな理由であれ、「人を傷付けていい」なんてことはないと思っていますし、その信念は譲れません。
ただ、私は「私の攻略法」を見つけた。
そんな感じです。
その攻略法は人によって違うと思います。
数年間、ひたすらに自分と向き合い、調べ、考え、思い悩んだ末に、やっと出た答えの一つです。
新年から暗い話題で申し訳ありませんが、私なりのけじめといいますか、2020年を生きるにあたって、この話をしておくべきだと思い更新に至った次第です。
まぁ、今となってはネタとして話すこともできますし、いい芸の肥やしになったかなとすら思えています。
飲みの席で笑い話にもできるようにもなりました。
そして、2019年の一年間、推し様のことを2018年同様見続けてきましたが、不思議と見方が変わってきました。
いえ、もしかすると、私が変わったのかもしれませんけれども。
知ったかぶりをするようですが、彼の真面目さ、繊細さが、より一層垣間見えるようになった気がします。
冗談でも、絶対に人を馬鹿にしない。
乗っかってしまった方がその場が盛り上がるような空気であったとしても、絶対に"ソッチ"に立たない彼が、とても誇らしく愛おしく、たまに泣けてくるときがあります。
人の気持ちを考えられる、とても賢く思慮深い人だと思います。
私もその気持ちを、忘れたくありません。
2020年も思いやる気持ちを忘れずに、多少の理屈や理論を抜きにしても、甘っちょろいと思われるのは承知で、私は「優しく」ありたいなぁと、そう思います。
新年早々、暗い内容にも関わらず、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
いつもいつも拙い文章ですが、2020年もお付き合いいただけると幸いです。
何かございましたら、お気軽に繭 (@maau_AienKien) | Twitterまでお願いいたします。
2020年も、元気に失敗して、汗かいて、恥かいて、泥にまみれても成し遂げたいものを目指していこう!!