合縁奇縁

根がオタクなんです

初恋の人が逮捕されて芸能界を引退するらしい

 

 

タイトルの通りです。

名前は伏せますが、わかる人にはわかると思いますが、私が芸能人で初めて好きになった方が、芸能界を引退するらしい。

アイドルとして、歌手として、役者として・・・彼はこういう形で芸能人生を終えるのか、と思うと、懐古の念で頭がどうにかなってしまいそうになります。

 

彼の持つ、"危なっかしさ"みたいなものが、大好きだった。

気分にムラがあって、体が弱くて、顔色が良くない日もある。

喘息持ちで、ダンスも歌も思い切りやると、死にそうなくらいしんどいときもあったみたいでした。

浮腫んだ顔で、俯いたまま覇気のないダンスを踊る彼を、何度も見てきました。

ただ、そんな彼が、大好きだった。

感受性が豊かで、メンバーにもよく涙もろいと言われていた彼。

楽しいときは大きく口を開けて笑って、感動したときは脇目も振らず泣いて・・・素直で繊細で自然体な彼は、「守らなければいけない」と思わせる、危なっかしい美しさがある。

短所と長所が共存する、本当に不思議な人でした。

 

 

冬の寒い日でした。

野外ライブ直後の、舞台横。

メンバーの一人のお兄さんが、自分の手を息で温めたあと、彼の冷たくなった手を包んで、祈るように温め始めたのです。

それを見て私は、確信しました。

彼は、人を"そういう気持ち"にさせる、不思議な人間なのです。

本当に、何というか、愛されるために生まれてきたような、そんな人でした。

 

ただ、その数年後に、彼の(彼を含む複数名の)行動で、そんな優しいお兄さんをひどく傷つけるような事態になり、私はこれ以上彼にはついていけないと、応援するのを断念しました。

簡単に申し上げますと、グループが分裂し、その「推しがいる方」ではなく、「人として道理が通っていると感じた方」を応援しようと、心に決めたのです。

 

ただ、それもなかなか茨の道で、私みたいな一ファンですらボコボコにされる、恐ろしい時代でして・・・

前に述べた、「『人として道理が通っていると感じた二人』が好きだ」とネットで公言するだけで、ボッコボコのバッキバキに叩かれる、狂った時代がありましてね。今では考えられませんが。

当時はまだブログ全盛期で、その後すぐTwitter人口がドバッと増えるんですけれども、私以外にも私と同じスタンスの方で、それはそれは毎日ファイヤーしているブログもありました。元は同じものを追いかけていたものだから、余計に厄介なんですよね。本当に、毎日議論・討論というか、もうバトルでした。

当時はアドレナリンが出ていたからか、あまり実感していませんでしたが、今思えば、しんどかったですね、一丁前に。

つらかった。悲しかった。

自分のことのように、何度も怒り狂ったし、何度も泣きました。

でも、私のようなパンピーがこんな風にやられるくらいなんですから、当の二人はどれほど傷付けられているんだろうと思うとゾッとしましたし、泣けてきましたし、叩かれるとわかっていても、好きだと声高に叫ぶことをやめようとは思いませんでした。

"やめてはいけない"と、使命感すら感じていました。

それほど、いえ、多少補正がかかっているかもしれませんが、マスメディアをも巻き込んだ「あの頃」は紛れもなく異常事態で、「事件」でした。

 

ずっと一人で戦っているような気分だったので、Twitterを始めて、世界には私と同じ考え方の人がこんなにいたのかとすごくびっくりしましたし、すごくホッとしたのを覚えています。

 

言い出すとキリがないくらい恨みつらみが溜まっているいろいろなことがありましたが、当時のことは、今回の件とは関係ないので、また別の機会に。

好きだった人が「容疑者」と呼ばれるのを耳にするのは、何とも・・・もちろん、もう好きではないですし、最近の彼の動向も事情も、何も知りませんし、離れて随分経つのですが、それでもやっぱり、泣けてくるものなんですね。

 

何を言っているのかと鼻で笑われてもおかしくないようなことを申し上げますが、私は、「私と彼はハッピーエンドだった」と、そう思っていました。

いろいろあったけれど、彼がグループを、アイドルを嫌になったのならそれでいいじゃないかと。

私は、「彼のなりたい彼」は好きではいられないけれど、好きな人には幸せになってほしいし、彼のやりたいようにやってほしい。

止める権利ももちろんない。

「"彼のなりたい彼"を好きな人」も、世界にはたくさんいるだろうから、彼の目指す形で幸せなってほしい、と。

 

けれども結局は、ハッピーエンドのその先にあった蛇足に何度も泣かされた、というのがオチです。

彼が嫌気がさして手放したはずの"それ"に、未練がましく縋るその様は、どういうわけか逮捕された今より「惨め」に見えました。

もうついていけないと、多少憎んだ日はあったとしても、幸せになってほしくないわけではなかったのです。

ただ、綺麗なまま、終わりたかった。

好きだった人が"かわいそう"になっていく姿は、見たくなかった。

大好きな彼がどんどん上書きされていくたびに、私の好きだった彼はもうこの世界にはいないんだと、痛感しました。

 

彼の持つ、"危なっかしさ"みたいなものが、大好きでした。

同時に、すごく嫌なところでもありました。

「好きだ」と「それが彼の魅力なんだ」と、声高に主張することで、必死に言い訳しているようでした。

彼を嫌いになりたくなくて、自分に言い聞かせているみたいでした。

 

彼を好きになった瞬間も、彼を好きじゃなくなった瞬間も、こんなにもハッキリ、明確に存在している。

「気がついたら好きだった」とか「気がついたら離れていた」とか、そんな感情は、彼に対してはどういうわけありません。

そしてそれは、たとえ彼が罪を犯していなかったとしても、芸能界を引退しなかったとしても、変わることはありません。

ファンをやめると決めたあの日から私は、彼の手を優しく温めたお兄さんと、彼のことを「短所と長所が共存する温かい人」と称した末っ子を、応援すると心に決めたのですから。

 

彼は私の青春でした。

さようなら、私の十代を捧げた人。

どうか、あなたのその繊細さを理解し心の支えになってくれるような人に、一緒にいて居心地のいい人に出会えますように。

寂しがりやで泣き虫なあなたを、受け止めてくれる人に出会えますように。

 

変わらず、想っています。