彼女のいる推しにガチ恋をしていたときの話
あの感覚はまさに、「熱病」だと思う。
彼女がいる人を推していたときの、それも、ガチ恋をしていたときの話を、いつかブログに書きたいと思っていたんですが・・・そろそろきっちりと決別しようかなぁと思い、書き始めた次第です。
信じられないことに、もう3月が終わろうとしていますね。
弊社も4月の人事異動が発表されました。
完全に私事ではありますが、私自身、異動が決まりまして、大変心がざわざわとしております。
また病むんだろうな〜〜〜・・・
本記事は、一応ガチ恋を経験した身として、ガチ恋について語ってみたものです。
お付き合いいただける方は、そのままお進みくださいませ。
何の気なしに見たミュージックビデオで、彼のことがものすごく気になって・・・気になって気になって、その勢いのまま接触に飛んだこと、今でも覚えています。
よくわからないんですが、どういうわけか「会いに行かなきゃ!」と思ったんですよね。
前日、ネカフェで緊張のあまり一睡もできずに、寝不足で気分の悪いまま会場へ向かいました。
順番待ちの間、私の前に並んでいた女の子は泣いていて、「あぁ可愛いな、泣いて喜んでくれる人がいるって、嬉しいだろうな」と、不思議とあたたかい気持ちになったりして。
でも、その後自分の番になり「こんにちはぁ〜名前は?」と手を差し出しながら迎えてくれた彼が、テンプレートな声かけだったけれど、びっくりして、嬉しくて、涙が出そうだった。
「こんにちは〜繭です」と答える私に、「まぁ〜ゆ〜〜〜・・・♪」と呟きながらサインを書く彼を、長机を挟んで見守りました。
前もって考えていたことは何も言えずに、半泣きで「大好きです〜」と言った私に、困ったように笑って頭にぽん、と手を乗せてくれた彼に、私はあの瞬間、まさしく恋に堕ちたんだと思います。
それからはまぁ〜〜〜狂ったように会いに行きました。
同じタイトルのCDやDVDが自室に山積みにされているのを見ると、何とも言えない気持ちになります。
今でこそ公開恋愛はそう珍しいものでもない(?)ですし、歳を重ね人気を確立したベテランさんが、「実は兼ねてより・・・」と告白するパターンもしばしば耳にします。
しかしながら私の推しくんは、デビュー二年目のグループとして大切な時期に、それも自らの口で発表したわけでございます。
私が彼を好きになったのは発表してからだったので、好きだと気付いた瞬間に失恋でした。
それからもコンスタントに燃えまして、まぁ、彼女がいることはもう周知の事実なので、ボヤがポツポツあるくらいです。
もう追わなくなって随分立つので忘れているものもたくさんありますし、直近では把握していないものばかりなんですが、私の記憶の限りでは、
番組のデート企画で「僕は恋愛中だから」と参加しなかったり、
彼女とのツーショットやプライベートな写真がガンガン流出したり(流出というか、周りの友人が普通にタグ付けしてSNSにあげたりするから、“そういう”人たちとつるんでいることの方が嫌だった)、
アルバムのThanks toに「愛する◯◯(彼女のニックネーム)、家族、事務所、ありがとう」などと愛のメッセージを認めたり、
自分が出演したミュの公演終了後に、彼女と待ち合わせしてそのままおデートしたり・・・
もちろん私が追えていないものもあるので、細かいエピソードは腐るほどあります。
以前、雑誌のインタビューで、彼女について語ってくれたことがありました。
苦しくて言ってしまったんです。
ファンの中には既に知っている人も結構いたし。
正直に打ち明けたら、たくさん非難されてファンも去って行きました。
でも隠したままでは不自由じゃないですか。
そういう制約があることが嫌だったんです。
そしてこう続きます。
最初は彼女がさんざん悪口を言われて、すごく後悔しました。
でも長く付き合ってるので、今ではファンも認めてくれているようです。
「結婚してね」とも言ってくれたりして、本当に感謝しています。
彼をそれなりに見続けてきた人間としては、これがまさしく彼の本心なんだと思います。
本当に、嘘がなく、良くも悪くも真面目な人です。
彼にとって、「彼女が一番」。
それが揺らぐことはありません。
なので、この言葉を目にしたときは「まぁ、そうだろうね」という感情がまず第一でした。
でも、一つだけしんどさを感じたのは、彼は、「ファンが認めている」と思っていることでした。
私以外のファンの方がどうだったかはわかりませんが、少なくとも私は、「認めて」はいなかったんです。
まぁ、認めるとか認めないとか、そんな権利があるかどうかは別として。
「認める」と表現すると、少し語弊がありそうなので、「受け入れる」の方が適切でしょうか。
つまり、彼の背景にある彼女ごと「受け入れて」、彼を好きだったわけではありませんでした。
では、私が彼の恋人という存在をどう捉えていたかと言いますと、簡単に言えば「諦めて」いたんです。
できる限り彼女の存在を見ないようにしました。
彼女のインスタはフォローしなかったですし、彼女をフォローしている人も、フォローしませんでした。
なので、彼を通して彼女にプレゼントをあげる人の感情も心底理解できなくて、そういうファンには絶対に近付きませんでした。
「◯◯さん(彼女)に渡してね」と言って彼に手渡したプレゼントは確かに彼女に渡っていましたし、渡した瞬間はきっと、ファンにはなかなか見せないようなとびきりの笑顔で「ありがとう」と言ってくれたんでしょうが、私には、それはどうしてもできなかった。
そんな可愛い笑顔、見たくてたまらなかったはずなのに。
彼女を想って溢れた笑顔なんて、見たくなかったんです。
この辺、ガチ恋っぽいな〜と思う。
とは言っても、もちろん噂は届きますし、ボヤがあれば気になってしょうがなかったので、結局インスタも覗いていた、というのが実際のところです。
傷付くとわかっているのにわざわざ燃えた写真を見に行って、その度に一丁前に病んでましたし、「プレゼントありがとうございます🙏」とコメント付きで彼女がアップした写真を見て「ムッキィ〜〜〜〜💢💢💢💢」となっていました、普通に。
逃れられませんでした。
でも、彼女のことを何より大切にする彼を好きだったのは間違いないので、そういう意味では「受け入れて」いたのかもしれないですね。
そして、彼女という存在に救われたことがあったのも、悲しいことに、事実です。
というのも、私が同担拒否だったからです。
以前にも申し上げましたが、彼は塩対応だと他のメンバーのファンには言われていましたが、私は一度もそう思ったことはありません。
確かに、ハグをしたり、愛の言葉を囁いたり、一般的に神対応だと呼ばれるようなファンサービスはなかったかもしれない。
ただ彼は、そのハグも愛の言葉も、そんな対応はファンの“誰にも”しなかったんです。
一人にしないと決めたら、全員にしなかったんです。
私が彼を、プロフェッショナルだと、神対応だと思う理由はそこにあります。
知らず知らずに同担拒否に仕上がっていた私にとって、皮肉なことに、彼女という存在はものすごくありがたい"絶対的"でした。
もし、何かの弾みで同担のマウンティングをくらってしまったとしても、「まぁ、あの人結局彼女が一番やしな・・・」と、都合のいいときだけ彼女の存在を思い出し、心の平穏を保つことができた。
惨めで、みみっちくて、自分が虚しくなりますけども、ガチ恋をしていた私にとっては、むしろいいことだったのかもしれませんね。
普段は後ろに下がっているのに、振られたら全力で笑いに走ることのできる彼が好きだった。
「ありがとうございます」と言った後、漫画のようにニコっとはにかむ彼が好きだった。
何時間もある握手会でも、絶対に座らずに立って対応してくれる彼が好きだった。
彼が呼ぶ自分の名前は、何だかすごく特別な響きに思えた。
友達のように接してくれたけど、私は彼のことが恋愛対象として好きだった。
日本で活動をするようになって、本国ではいつも後ろの方でにこにこ笑っているだけだった彼が前に立つようになり、プレッシャーで手をぶるぶると震わせながら話す姿が、苦しくなるくらい愛おしかった。
年齢のせいでもあったのかもしれませんが、ガチ恋だと思った人は、いまだに彼だけですねぇ・・・
接触も多かったですし。
「誰かを想って眠れない」なんて、それまでクラスメイトの男の子を想って起こっていたような現象が、十代後半に突然、アイドルの男の子に対して起こってしまった。
それから仕事で忙しくしているうちに何やかんやで俳優沼に浸かったので、別に、彼女がいるからガチ恋をやめたわけではありません。
「まだ覚えててくれてるかな」と会いに行くたびに悩むのもしんどかったですし、だんだん本当に好きなのか、それとももはや意地なのか、自分の気持ちがわからなくなってきたのもしんどかったです。
今、俳優さんを追いかけている私のオタクスタンスはガチ恋ではないと思っているんですが、ガチ恋当時の自分を恥じているわけでも、後悔しているわけでもありません。
本当に、全く、です。
ただ、今でも、彼を画面越しに見かけた瞬間、久しぶりに初恋の人に会ったときのような胸の痛みを感じるのです。
決別なんて言いましたが、結局私の心にはしこりのように引っかかり続けている。
きっとこれからも、好きになる前のように、綺麗さっぱりなくなることはないんでしょうね。
叶わなかった私の恋は、どこへいくんだろう。
以上、全て私のひとりごとです。
ひとりごととは言いつつも、いろんな方の目に触れるところで公言しているので、常に不安に思うところはあるのですが・・・
長ったらしいひとりごとでしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
十代の私じゃあできなかっただろうとは思いますが、こうして文字に起こすことで、自分の中で折り合いはつけられているような気がします。
次の更新、異動先で精神バチバチにやられた状態でお会いしましよう。