推しが「いじられキャラ」であることのジレンマ
悲しいドッキリを見たことがある。
途中までは楽しく見られていたはずなのに、いつの間にか、見ていられなくて、思わず再生停止ボタンを推してしまったドッキリが、一つだけ。
推し様が「ドッキリ」にかけられたことがある方、一体どのくらいいらっしゃるのでしょうか。
誕生日ドッキリとかサプライズとか、そういうハッピーになれるものではなく、一本番組ができてしまうような、壮大なヤツです。
「いたずら」の範疇ではなく、仕掛人たちの間でも「これやりすぎじゃない・・・?」という空気が流れるくらいのどデカいドッキリ。
私の推しは仕掛け人だったんですが、その私でさえつらすぎて泣いちゃったんで、推しがターゲットだった方々はどれほど泣いたんだろうと思ったドッキリ企画が一つだけありました。
仕掛けている側の罪悪感が伝わってくるから、ドッキリかけられた方もかけた方も、みんなかわいそうで、本当に悲しみしか生まれない世界になってしまうのが地獄すぎる。
「なんだドッキリか〜!よかった〜!!」で終わるタイプのカラッとしたドッキリはいいんですが、
「あ・・・ドッキリだったんだ、そうだよね、なるほどね・・・」ってなるタイプのドッキリ、後味が悪すぎて本当に胸がキューーーっとなってしまいます。
一時期少し話題になった、「共感性羞恥」という言葉。
ある一定の人にだけ見られる心理現象
「ドラマなどで『この後、この人は確実に恥をかくだろうな』というシーンを見るのがとにかくイヤです。しかし、一緒にテレビを見ている母に言っても理解してもらえません。この気持ちわかりますか?」
私もがっつりこの気質で、現実でも、話のすれ違いなんかにやたらと気付いてしまい、ソワソワしていてもたってもいられずその場から席を外してしまいたくなることが多々あります。
とは言っても、私が口出しするのは筋違いですし、私が勝手に想像しているだけなのでフォローに入って泥沼化したらご本人に申し訳が立たず地獄でしかないので、「違うんだよ、彼はそういうことを言いたいわけじゃないんだ・・・」と、一人で勝手に思い悩み苦しんでいます。
これってきっと、相手にもよるんだと思うんですけども、覚えている限りでは、相葉さんに対しては、一度もないんです。
なので、この表現が正しいのかはわかりませんが、見ていて、推していてすごく「ラク」です。
「人による」というのは、例えばですが、もし相葉さんがそういう状況に置かれたとしたら、「何だよドッキリかよ〜めっちゃ信じたじゃん!」と素直に悔しがり、そしてケラケラと笑い、恥ずかしさをあまり人に感じさせません。
"かわいそう"さがないのです。
相葉さんは、そういうときの処理の仕方がとてもお上手です。
表情とか、リアクションとか、その反応で「いじっていい人」にはならないんです。
ナメられないんです。
・・・話を戻しますと、そういうドッキリを見てしまうと、本当にしばらくずーーーっと引きずっちゃうので、ひとしきりテンション下がった後、自分の中でどうにかこの出来事を処理せねばという感情が生まれます。
初めからそう考えてすぐに処理できたら楽なんですが、それがなかなか難しくてですね・・・
やっぱり、一旦はテンション下がらないと、浮上できないみたいです。
まぁ、悩む時間があるからこの結論にたどり着けるのかなぁなんて、思っています。
そこで毎回自分に言い聞かせるのは、「私が勝手に想像して傷付いているだけじゃないか」と。
えー、まぁ、今は結構元気なんですけれども、一時期、精神的にしんどかったとき、少しでも職場にいたくなくて、昼休みに外に出て本屋に通っていた時期がありまして。
とにかくあの部屋の中にいたくなかったんですよね。
自分の苦しみの答えを知りたくて、エッセイとか心理学本とか、まぁたいした数ではないんですが、自分なりにいろいろと読み漁っていました。
職業柄なのか、すぐネット検索してしまう女でして、もちろん明確な答えはわからないんですけれども「物事を自分と同じように感じている人がいる。それも、少ない人数ではない」ということがわかるだけで、自分の中で解決できるものもあるんですよねぇ、不思議と。
みんななかなか自分のことは口に出さないので、特に、私のような気質の人は話さないということを知っているので、本やブログでそういうことを知ることができるのが、本当にありがたいです。
そうして、出会ったのが、こちらの本でした。
またまたアフィっぽいですが・・・
人間関係で嫌な思いをして、モヤモヤを引きずることがありました。
心理学の本で、嫌なことをした相手は何をしたかも覚えていないことが多いから、考えるだけ無駄だと学んだけど、なかなか気持ちを切り替えられるものではなく…。
そんな時、友人から言われたこのひとことは、妙な説得力がありました。「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ」
その言葉を聞いた時、嫌な相手のためにどんなに真剣になっても、自分が気にした分だけ、相手も真剣に自分のことを気にしてくれるわけじゃないんだと、ハッとしました。
使い方は少し違いますが、これと似たようなものだと思います。
私だったら傷付くかもしれないけれど、本人が傷付いているかどうかはわからない。
きっと本人は今頃あんな出来事は忘れて、パフェとか食べて、元気にしているだろう・・・いやっ、うん、そうそう!!そのはず!!!と自分を鼓舞するしかないのです。
「そういうこと」にしないと、自分の中でその出来事を清算できない体質が嫌になることもありますが、それも含めて自分なんだと受け止め、うまく向き合っていくしかないのかなぁと思っています。
少し話が逸れますが、前ジャンルでは、「けなし愛」というものがありまして・・・いや、どこのジャンルでもこういう言い方をするんでしょうか?
若俳界隈ではあまり耳にしない気がしたので、話題に挙げてみたんですが・・・
最近、若い女性などが好きなタレントについて「イケメンだけど、おバカなところが愛しい」とか「どんくさくて愛しい」「短足で愛しい」「陰キャラなところが好き」「うざ可愛い」などとつぶやくコメントを、ネット上でよく見かける。
これは「けなし愛」と言われているらしい。
このタイプの愛情表現には賛否両論あるでしょうし、何が正しいとか正しくないかとか、私にははっきりわかりませんが、ただ思うのは「けなし"愛"」と言うだけあって、そこに愛があるかないかは、聞いていて見ていてよくわかります。
「好きだから何を言ってもいい」というスタンスの人で、自分が気持ちよくなりたいだけのただの「けなし」は、やっぱりわかっちゃいますよね。
ただ、一つ、けなし愛が生んでしまう悲しい現象があります。
誰かが言うと、「けなしていい人」「いじっていい人」になってしまうということです。
それも、その「誰か」が自分の尊敬する人だったり、好きな人だったりすると余計に、です。
推しが好きだと言うものは、自然と気になるものじゃないですか。
その逆もまた然り、というわけです。
好きな人の「俺なんかアイツ好きじゃないんだよな〜」なんて一言だけで、案外簡単に、人は人のことをたいした理由もなく嫌いになれるものです、悲しいことに。
けなしている本人は愛情のつもりでも、それを聞いている側は、そう受け取ってくれるかどうか、汲み取ってくれるかどうかはわかりません。
本人たちの築き上げてきた関係性があるから、けなしけなされる愛情が成り立っている場合もあると思います。
ただ、ファンとは勝手なもので、好きな人を身近な存在であると錯覚しがちです。
けなすことで、自分のところまで引きずり寄せようとする人も、これが悲しいことに存在するんですよねぇ。
いえ、「けなして、引きずり寄せたと勘違いしている」という表現の方が、近いのかもしれませんね。
でも、今にして思うのは、彼女のいるアイドルを推していたとき「私の推しって彼女いるんだよね…」とオタク友達にこぼしていたあれは、もしかすると"けなし愛"の一種だったのかもしれない。
いえ、"けなし"ではないのはわかるんですが、手口(?)が、行動原理が同じというか・・・
「ダメな男に貢いじゃうアタシ♡」と自分に酔っていた部分も、あったのかもしれないなぁと、恥ずかしながら今になって反省しています。
話が逸れまくりましたが、私みたいなタイプは「いじられキャラ」を推すのには向いていないだなぁという結論にたどり着きました。
ご本人は気にしていないかもしれませんし、むしろ「オイシイ」と、自分でもわかっていてあえてキャラを確立しているのかもしれませんが・・・私は勝手にその苦しみを想像してしまうので、びっくりするほど疲れる。
私自身、いじられキャラでいることのしんどさを知っているから、余計に。
ただやっぱり、私に限らず「ファン」というものは、推しが愛を持っていじられている姿を見るのも楽しいかもしれませんが、どうせなら"推しが褒められて嬉しそうにしている姿"を見て、幸せを感じたい生き物なんじゃあないですかね。
少なくとも私は、そう思っています。
twitter.com「侍戦隊シンケンジャー」の無料配信決定!東映特撮YouTube Officialにて、3月8日(金)より毎週2話ずつ配信致します✨
— 東映公式ニュース (@TOEI_PR) 2019年3月7日
今回は放送10周年を記念し、YouTubeプレミア公開機能を全話数で実施します📺!!
この機会をお見逃しなく!10周年に皆で盛り上がろう🔥
詳細はコチラ↓https://t.co/NVGfmSbXKH pic.twitter.com/c7ZY9Sx0DZ
伝説の滝行。
かわいそうさを全く感じさせない奇跡のいじられキャラが、ここに。