合縁奇縁

根がオタクなんです

「かっこ悪い」をかっこよくできる人でありたいという話

 

地獄か?というくらい暗いですし、ものすごくどうでもいい私の個人的な話ばかりなのでご注意くださいませ。

それでもお付き合いいただける方は、最後まで読んでいただけると幸いです。

あいも変わらず支離滅裂でまとまりのない文章ですが、私なりに「生きよう」とした想いをしたためてみました。

 

 

 

 

ブログを書くくらいですから、基本的に自分は、文章を書くのが好きなんだと思っています。

ありがたいことに、好きが高じて学生時代、私の書いた拙い論文やスピーチ原稿を、評価していただいたこともありました。

当時、将来どんな仕事に就きたいかという質問には、必ず"文章を書く仕事"と答えていた覚えがあります。

残念ながら、今の仕事は文章を書く仕事ととは正反対くらい、かけ離れたものなんですが・・・

 

ここ最近仕事が立て込んでいたこともあり、人間関係なんかも嫌になってしまいまして、テンションどん底のまま会社を行ったり来たりする毎日です。

も〜全部イヤ!状態。

そもそも何がしんどいかと言いますと・・・うーん、本当に言葉で説明するのはすごく難しいのですが、一言で言うと、他人のことが気になって、自分の仕事が全く進まないのです。

感覚的には、部屋のあちこちに自分のアンテナが設置されていて、ほんの少しの環境の変化や誰かの感情の起伏に伴って、居ても立っても居られず、じっとしていられなくなってしまうような、そんな感じです。

やらなければいけないことに気付き、やり始めると同時に、また別のやらなければいけないことに気付いてしまい頭がぐちゃぐちゃになってしまう。

人や物事に対して優先順位を付けられないので、全ての人に平等に対応しようとして、全てのことを全力でやろうとして、体力だけ消耗しひどく疲れてしまう。

周囲の会話や物事の経緯をやたらと把握してしまうので、気が利くと言えば聞こえはいいですが、結局自分のことは何もできていないのです。

 

また、わかりやすい攻撃的な言葉はそこまで気になりませんが、ふわっとした感覚的な言葉は、トゲのように心に引っかかります。

「さっきのはこういう意味で言ったんじゃないか?」「実はこういう裏があったんじゃないか?」とずーっと考え込んでしまい、言葉の表面上の意味だけを受け取ることができません。

 

苦しいけど、「苦しい」と発することはもっと苦しくて、声になる前に死んでしまった私の言葉たちが、私をチクチクと責めていきます。

"こう"なって思ったんですけども、人間の感情?心?には容量があるらしく、「苦しい」だったり「つらい」だったり、声にならなかった私の感情たちは、まず心の空いているところから陣取っていくんですね。

私の場合は「苦しい」「つらい」の次に訪れる感情が「これは全部自分のせいだ」だったわけで、まず最初にそんな負の感情たちが空きスペースを占めていって、空いたところがなくなると、人間って面白いもので、少ないながらも確かに存在した私の"陽"の感情が陣取っていたスペースを、頼んでもいないのにうまいこと侵食していくんですよね。

そうして、「これは全部自分のせいだ」で真っ黒になった心は、最終的に「私は存在する価値のない人間なんだ」という結論を吐き出します。

非常にシンプル。

物事を0か100かでしか考えられない、典型的な頭カチコチ人間です。

そうなると、微かにあった前向きな感情も、他者への怒りでさえも呑み込まれ、完全に心はまっくろくろすけになってしまいます。

しかし、何故せっかくあった前向きな気持ちを犠牲にしてまでこんな思考回路になってしまうのかは、自分でもわからないのです。

でも人間は基本的に、あえて自分を苦しませるような方向にはいかないと思うので、私にとってはそう考える方が楽なのかなぁなんて、そんな風にさえも思います。

それか私がものすごくドMか。

 

自分のことを話すのが苦手で、どうしても心のキャパが負の感情でいっぱいになってあ゛〜〜〜!!!!となったときは、髪をバッサリ切ったり、ピアス開けたり、メイクを変えてみたり、ネイルしてみたり、そういうところでしか表現することができない女です。

こ、こじらせてる・・・

 

‪文章にすれば、この息苦しい気持ちも少しは楽になるのかなぁと思いいろいろと考えたわけなのですが、えー、平成も終わろうとする中、近ごろはブログというものすご〜く便利なツールがあるらしくてですねぇ・・・(すっとぼけ)

つまり、以上が今回ブログを更新するに至った経緯であります。長い

 

そうなると、もう職業病ではありますが一つ引っかかることがあると徹底的に調べてしまうので、いろいろな記事を探していたんですが、その際すごくびっくりするQ&Aにたどり着きまして。

 

人の考えている事がわかりすぎる事への対策教えてください。

わかりすぎているのか、勝手に深読みして察知しすぎるのか・・とにかく人の事を考え過ぎて自分が辛いという生き方しか出来ず・・。たとえば、説明しにくい事でも”なんとなく”察知したり、気付いたりしてテレビを見ていても(お笑い番組とかトーク番組)いろんな人のいろんな感情など考えている事や、たぶん、こういう事を意図しての発言なのではないか・・とかがわかり??しんどくなります。そして人間が怖いという事にも繋がったり・・。

自分の周辺で起きていることも、あの人がこう言ったのは、こう行動したのは私がああしたからだ・・と、自分の事も第三者の目で見れてしまうので、それがいい方向に向けばいいのですが、自分を責めて責めて内に閉じこもってしまうため・・全くダメな方向に行ってしまいます。人の事が読めて??しまうが故に、余計に、どんどん深みにはまって取り返しがつかない所までいってしまうというか・・。

とにかく自分の存在がどんだけ周りに悪影響を及ぼしているんだろう・・と情けなくもなりますが、周囲の人からは、よく「もっと自信持てばいいのに」と本当によく言われるので、また落ち込みます。

いろんな事に対して真正直に受け止めて対応したり敏感すぎるために脆いと思います。それを自分の個性だと思えてプラスに活かす事ができればいいのですが・・

もっとタフに鈍感になるにはどういう事からはじめればいいでしょうか・・

人の考えている事がわかりすぎる事への対策教えてください。 -人の考え- 失恋・別れ | 教えて!goo

 

私、いつ投稿した?

本気でそう思いました。

とは言っても、勝手にここまで同調してしまうのは投稿者様には忍びないですし、私のことを知る人からすると「全然ちげーよ」とお叱りを受けてしまうかもしれませんが、私自身が日々感じる苦痛は、この質問の中に全て詰まっているんですね。

こちら2010年の投稿なんですが、投稿者様は今どうされているのか、すごく気になります。

一度お話を伺いたいくらいです。

せめて、元気にしてらっしゃることだけでも知られたらなぁと・・・

 

少し昔話にお付き合いいただくのですが、こんな地獄のように暗い私でも、学生時代は割と元気で、どちらかというと「ネアカ」だったんですね。

大人しくて真面目な子というより、人前に立ってバカなこともやるような、まぁ、活発な方だったとは思います。

ただ、いつもヘラヘラしているのでどうやら私は何を言ってもいいと思われているんだろうなぁとはうすうす感じていました。

先生や同級生からの行き過ぎた"イジり"に人知れず泣くことも少なくはなかったので、まぁ、ネクラ街道の片鱗はあったのかもしれませんね。

そこで泣いたら、悔しいじゃないですか。

本当に"かわいそうな子"になってしまうじゃないですか。

そんなの、惨めです。

悲しいです。

私が笑っていさえすれば、私はかわいそうな子ではなく"いじられキャラ"になれるわけで。

いやぁ、自分で作り上げた足場に飲み込まれてしまうのは、みっともないものですね。

 

でもまぁ、この性格で得したなぁと思うことがあることも確かです。

笑顔を褒めていただくことも、「いつもニコニコしてるから、繭ちゃんが来ると何でも判子押してしまうわ!」なんて言っていただけることだってあります。

あるんですよ、これでも。

 

ただ、もちろん世の中はそういう方ばかりではなくて、私のような人間が気に食わない方もいらっしゃるんですよね。

「何がそんなに可笑しいんや」と怒られたことも、「お前は悩みなさそうでうらやましい」と馬鹿にされたこともあります。

そんなときは、何と言いますか、これもまた説明しづらいのですが、ポキッと張り詰めていたものが折れ、すーっとまるで自分を第三者の目線で見ているような不思議な感覚になります。

俯瞰的に自分を見ているような、そんな感覚です。

そして私はこう答えるのです。

 

「そうなんですよね〜!ほんっと、悩むこととかないですもん!」

 

正直、笑ってはいますが別に面白くも何ともないです。

何で笑っているかもよくわかりません。

ただ、顔の筋肉がそう動いて、後は「あはは」と音が喉から出る、ただ、それだけです。

怒られれば「すみません」と返すし、馬鹿にされればとことん馬鹿を演じます。

 

しかし、私の"これ"は、別に誰かに強要されたわけでもなく、私自ら進んでやっていることなので、嫌ならやめればいいだけなのです。

やめればいい。

やめればいいのに、また誰かの感情を勝手に感じ取って、それが正解かもわからないのにその感情を元にまたぐるぐると考え込んで、そして勝手な結論にたどり着いてしまう。

声にもしないから、答え合わせもできない。

勝手に出した答えだけが、私の首を絞めていく。

きっと明日も、明後日も。

 

いや、暗っ・・・

えー、少し前向きに話を進めたいので、一旦まとめますと、つまり、前に述べたQ&Aを見て、私はすごくびっくりしましたし、何より少し心が楽になったような気がしたんです。

私と同じような人がいるんだということに、です。

そして調べ物を続けていくうちに、こちらの本にたどり着いたんですね。

 

www.kinokuniya.co.jp

 

なんかすごくアフィっぽいですが・・・

もちろん書かれてあること全てに当てはまるわけではないんですが、どうやら私は、HPSと呼ばれる特性らしく、それも、そう珍しいことでもないみたいなのです。

 

HPSとは・・・

繊細さんは、他人が気づかない小さなことに気づく人です。感じる力が強く、多くの情報を受け取る人とも言えます。

その対象は、多岐にわたります。人の表情や雰囲気、気温の変化、わずかな音、仕事の改善点、自分の気持ち……。その結果、「人と長時間一緒にいると、疲れる」「小さなミスに気づいて仕事がはかどらない」と、悩みがちです。

繊細さんであることは「性格」ではなく、生まれついた「気質」です。ですから、自分の意思で「気づく・気づかない」をコントロールすることはできません。アメリカの心理学者エレイン・アーロン博士が、こうした人たちを「HSP(Highly Sensitive Person)」と名付けました。脳の神経システムに違いがあり、5人に1人の割合でいるとされます。

敏感なあなたは「繊細さん」かも HSPの生きづらさを軽くする方法 - withnews(ウィズニュース)

 

HPSの人は、自分の感受キャパを虫取り網に例えると"目が細かく大きい網"だそうです。

情報を受ける範囲が広く、さらに受け取った情報も取り逃がすことが少ない。

 

思えば、確かに高校のときの担任の先生からは、「繭さんは感受性が豊かだよね」と事あるごとに言われていました。

今見ると卒業文集にも書かれていました。

当時は褒められていると思っていましたし、先生もきっと良かれと思って言ってくださっていたんだと思いますが、今となっては・・・何とも言い難いですね。

 

働き始めてこんな風になってしまったので、てっきり私は体力が落ちたのだと、そう思っていました。

学生の頃の動画を見たりすると、本当、自分にたまげます。

元気か。と。

しかしどうやら、ただ体力がなくなっただけではないようで、学校という比較的気を張らなくてもいい集団生活の中では、私のこの生まれ持った気質が明るみになることはなかっただけであって、「職場」という常に責任が伴う社会の中では私のこの気質がバンバン顔を出し、生きづらさを増長させているのかもしれないと感じました。

 

いつもこのブログを読んでくださっている方からすると何を今更というお話なのですが、ここはあえて、私が応援している俳優さんのことを「推しさん」と呼ばせていただきます。

こんな内容なので、あまりお名前を出したくなくてですね・・・

 

以前の記事でも申し上げましたが、私にとって推しさんは、"自分の生き方を省みるチャンスをくれる存在"であります。

大げさだと、たかが趣味で何を言ってるんだと鼻で笑う方もいらっしゃるかもしれませんが、何せ私は超がつくほど不器用女なので、紛れもなく本心なのです。

堅物クソ真面目。

 

少し前に友人に、「なぜ急に推しくんのことを好きだと言い始めたのか」と聞かれました。

きっと、私の口から推しさんの名前をやたらと耳にするようになったのが、彼を知って一年以上経ってのことだったため、気になったのでしょう。

ずっと"かっこよくて歌とダンスが上手い俳優さん"という認識でしかなかった彼が"推し"と呼べる存在になった決定的な瞬間は、普段穏やかでマイペースな彼は、実は胸の内では熱いマグマをグラグラと燃やしていて、腹を括ってなりふり構わず"かっこ悪い"ことをできる人なんだと、気付いたときでした。

これも何度も言っているかもしれませんが、かっこ悪いことをできる人は"かっこいい"です。

 

対して私は・・・一言で言うと、「ダサい」のです。

激ダサです。

他人のことばかりを気にして、他人からどう見られるかばかりを気にして、そんな生き方を続けていたせいか結局自分がどうしたいのか、わからなくなってしまいました。

思ってもいないことを言ったり、悲しいのに笑ったり、私はずっと自分を殺し続けてしまったんでしょうね。

そんなの、「私」がかわいそうです。

 

見栄っ張りで意地っ張りで、可愛げのない私は今、どうしたら推しさんのように"かっこよく"いられるか、自分の生き方を模索している最中です。

まずは自分のかっこ悪いところ、弱いところを開けっぴろげにしていくことが大事なんだと思います。

そうして怖いものを一つずつ、減らしていかなければいけませんね。

そうすれば自ずと真っ暗だった道にも、光が当たるんだと思います。

 

できれば推しさんのように、彼に恥じないような人間になれるように。

 

しかし、今びっくりしているのは、この記事の冒頭は本当に地獄みたいにドン底テンションの文面なのですが、書き進めていくうちに少しずつ内容が前向きというか、穏やかになっていることなんですよね・・・

文字に起こして、自分の中で感情の整理ができたのかもしれません。

 

こんな見苦しい内容にも関わらず、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

こんな拙い文章ですが、もし私と似たようなことで苦しみ、人に悩みを打ち明けられなかった方が、「同じような人間もいたんだなぁ」と少しでも前向きな気持ちになっていただけたら幸いです。

 

明日からまた一週間、元気に失敗していこう!!!