合縁奇縁

根がオタクなんです

自分がオタクだということを周囲に話すかどうか

 

夏も終わるといいながら、まだまだ暑い日が続いていますね。

弊社は4月と10月に人事異動が発令されるので、職業柄9月は毎年鬼のように忙しいのですが・・・今のうちから戦々恐々としております。

もしかすると、転職される方、新しく社会人になる方もいらっしゃるやもしれませんね。

そんな、環境の変化に伴い付いて回るのが、歓送迎会。

 

私にとって恐怖の時間があるのです。

それは、「休日何してるの?」という地獄の質問タ〜イム。

歓送迎会に関わらず合コンだったり職場の飲みだったり、人間関係を構築しようとするときには、よく耳にする質問だと思います。

私ならそこでいつも、「飲んでばっかですね〜」と答えるのですが(決して間違いではない)、本当は、

「金曜に夜行バスで半日以上かけて東京まで行って、好きな人が歌って踊る姿を見てます」とか、言いたい!!!!!

 

というのも、最近「◯◯ちゃんはお酒以外にどういうときにテンションが上がるの?」と職場の人に真剣な面持ちで聞かれたので、周囲からはきっと、酒だけの女だと思われているのでしょうが、私はあのとき相葉裕樹という役者にめちゃくちゃいい舞台の出演が決まったときじゃコラ〜〜〜!!!!」と言えなかったのが、悔しくてしょうがなかったんです。

喉まで出かかったのですが、どーーーしても言えなかった。

 

さて、なぜ私は、胸を張って本当のことを言えなかったのか。

それは、私の答えが、世間が求めている答えとは違うんだと、わかっているからです。

質問者が求めているものは、そういうんじゃあないと、わかっているからです。

なぜなら、これじゃあ会話が成り立たないから。

質問者は主語を「私」と設定したのに、なぜいきなり俳優さんの名前が出てきたのかと、主語と述語が成り立っていないその一文にきっと、違和感を覚えるんじゃあないかと。

あなたの好きな食べ物は何ですか?」という質問に、「イチゴです!◯◯さんが好きだからです!」と答えるくらい、意味のわからない、気持ちの悪い会話に感じるのかもしれないと思うと、喉まで出かかった"本当のこと"が、どうしても言えなかった。

でも、私にとっては間違いなく、好きな人が輝いている姿を見るのが幸せなんです。

これは別に、"その人のため"だとか、そんな褒められるような献身的な感情ではではありません。

ただ純粋に・・・うーん、本当に、こういう感情を言葉にするのは難しいですね。

どう言ったら伝わるのか。

私の幸せは、好きな人を通しての幸せなんですよね。

 

長年オタクをやっていると、"幸せ"の定義が、オタクではない人と大きく違ってきていることに気が付きます。

そこで思ったのが、私のオタクとしての幸せって、"クラウド上"にあるということ。

推しを自分の全てにしてはいけない - 合縁奇縁

 

もしかすると、私が勝手に嬉しいと思ったことは、推しさんからすると喜ばしくないことかもしれませんし、私が勝手に悲しいと思ったことは、推しさんにとっては屁でもないことなのかもしれません。

本当のことは推しさん本人にしかわからないのですが、全てが"推し"というフィルターを通した上での「私の」幸せ。

すっげー無責任だと思います。

わかっています。

喜びも悲しみも誰か次第なんて、何かを感じる場所を、間借りしているようです。

でも、この感情は嘘ではなく、確かに「私の」感情なんですよね。

 

話を戻しますが、そんな話題になったとき。

さも「関心がある」、「あなたの趣味をちゃんと理解している」ような顔で根掘り葉掘り聞いてくる人。

本当はただ、面白がってオタクをバカにしているだけなのって、わかります、すごく。

悲しいですけど。

わかりたくないですけど本当は。

そんな風にネタとして晒されている人を何度も見てきたので、私は自分の趣味を人にはあまり話したくないタイプです。

もちろん本当に興味を持って聞いてくれる人もいるんですが、結局はその人も"畑違いのオタク"ってオチなので、やっぱりオタクの気持ちはオタクにしかわからないのかなぁなんて、寂しくなったりもします。

「◯◯さんって、△△好きらしいよ〜」なんて噂話を耳にすると、人の好きなものくらいほっとけし・・・と、ますます自分の"好きなもの"を公言する気が失せます。

風の噂で聞きまして、にわかには信じがたいんですが、オタクではない人からすると、好きな人のために同じCDやDVDを何十枚も買ったり、外国まで行ったり、馬鹿高いプレゼントを渡したりすることは、どうやら理解し得ないこと、らしいのです。知ってた?

そりゃあ人の数だけ価値観がありますからね。

私だって、元彼が椅子だの机だの、別に人に見せるわけでもないインテリアにこだわっている姿を見て「マジ意味わかんねぇ・・・」と思っていました。

ただ、"共感"はできなくても、"理解"はできました。

 

私は小学校高学年くらいからオタクデビューしたのですが、デビューしたのはいいものの、何のジャンルにしても、オタクという生き物は世間では気持ち悪いとされるらしいぞ」と、早々に察知してしまったので、それからずーーーーっと今まで、大っぴらにはしていません。

しかし、 この歳になって気が付いたのは、別にオタクという存在自体が気持ち悪いわけでななく、ごく一部の、TPOを弁えずに自分たちの土俵ではないところにダンプカーで突進してしまう人が、おそらく気持ち悪いんですよね。

 

卵が先か鶏が先か、の話になってしまいますが、世間がオタクを理解してくれないから自分たちの意見を主張するのではなく、オタクが相手の主張を聞かないまま自分たちの意見を主張するから、世間はオタクを理解できないのかもしれませんね。

黒執事のケルヴィン男爵を見ると、自分のオタクとしての身の振り方を考えさせられます。

自分にないものを持つ人に惹かれ、それを持たない自分に絶望する気持ちはよーーーくわかります。

それを拗らせるかどうかは、自分次第だと思いますが。

 

まぁ、基本的にオタクは話し好きなので*1、自分たちのテリトリーで仲間内だけで盛り上がっているオタクたちはそっとしてあげておいてほしいですし、友達だったり恋人だったり家族だったり、身近な人が話を聞いて欲しそうにしていたら、たまには優しく耳を傾けてあげてほしいなぁと、同じオタクとしては願わずにはいられません。

 

私は、この人なら言っても大丈夫だな、というごく僅かな人にしか話さないようにしています。

なのでオタク友達が、リアルにはほとんどいません。

Kドルのオタクをしていたときは、Twitterで仲良くなった友達と騒がしくワイワイやっていました。

まだ十代でしたし。

楽しかったなぁと思うのですが、周りのお姉さま方からしたらほんっとクソガキだったんだろうなとも思います。

今の私だったら当時の私とは絶対関わりたくないので、あの頃から今でも付き合ってくれているお姉さんたちには、本当に感謝しかないです。

 

若俳界隈に足を突っ込んでからは、観劇も一人で行くのがデフォルトなんですが、要するに、

お友達の作り方を、どなたかご教示いただけないでしょうか?

 

私はいたって真面目です。

友達ってどうやって作るんだっけ。

今日からなるとか決めるものじゃなくいつの間にかなっているものが友達なんだっけ。

そしていつの間にか去っていくのも友達なんだっけ。

チョコレートパフェ3つ奢ればできるのが友達なんだっけ*2

私もみなさんのように、観劇後に「あのシーンめっちゃよかった」とか「推しさんの顔がただただ良すぎる」とか、酒飲みながら語れる日がきたらいいな。

 

もう恒例になりつつありますが・・・長々と拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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そんなことを言っていたら、いよいよ友達がいないとやばいヤツがきた。